なんか今新しいHPの作成とかしてるみたいで、新しいページを探そうとした人を検索に引っ掛けてしまっているようです笑

ゴメンなさい。ワタシハムカンケイデス(嘘)

ま、いいや。とりあえずプロフィールは当面変えておこう。

Mac Life

2007年3月29日 趣味
自分探しの旅「ろ」

Mac Plus。
そういえばマックが好きだなーと思ったのでマックについて書きます。
僕が初めてパソコンに触ったのは小学校4年生でした。叔父に貰った古いマックです。現在マックの世代はついにG5、つまり第5世代。しかしこのMac、今風に言えば「G1」に位置づけられる最も原始的なパソコンでした。
画面はもちろんモノクロだしフロッピーだしメモリーは512kしかないし、今のパソコンから考えればとてつもなく貧弱な性能のパソコンでした。しかしその端正なデザインや、場所を取らないコンパクトな一体型パソコンは、プロダクトとして非常によくまとまっていたように思います。
また筐体の中の金属プレート部分には開発者のサインが刻印されているという美しくお洒落な遊びには、子供ながら感動しました。

「MacWrite」という非常に使いやすいタイプライターや、現在の全てのグラフィックソフトのご先祖様みたいな存在の「MacDraw」など、優れたソフトが多数インストールされていました。

中でもよく遊んだのはHyperCardというプログラミングソフトです。
紙芝居(タスクカード)にボタンを配置し、そのボタンに機能を与えることで様々な動きのあるカードを作ることが出来るというのが基本でしたが、一般的なプログラミングソフトと違って、タスクカードのみで簡単な資料を作成出来るというのが非常に画期的だったと思います。初心者からハイエンドまで誰でも使いこなせるデザイン。パーソナルなものとしてパソコンを位置づけたマックならではのソフトでした。

プログラミング言語自体も平易な英語が基礎になっているので非常にわかりやすく、当時小学生だった僕でも簡単なソフトなら作れるようになりました。計算機付き会計ソフトとか、動く絵本とか、そんなもんでしたが。

結局、HyperCardは無くなってしまいましたが、今でも復活させる価値のあるソフトだと思っています。
(実は最近流行のFlashには、HyperScriptを発展させた言語が利用されているので何だかんだで生きてますが)

今でこそ「味気の無いデジタル」なんて揶揄されているパソコンですが、手作り感溢れる製品だった時代もあったんだと。複雑なこと、大容量なこと、速いこと、世の中そういうことばっかりじゃないよね。と、MacPlusの写真を見る度に考えます。

そしてジョブス引退後のアップルにはそれを忘れないで欲しいなーと思います。(まだまだ元気そうですが)


余談ですが、アップル、というよりパソコンが生まれたきっかけになったのが上にも書いたGUI(グラフィカルユーザインターフェイス=マウスによるデータ入力)でした。アラン・ケイがゼロックスのバロアルト研究所でGUIを開発していたころにジョブスがバロアルトを訪問して感銘を受け、そして出来上がったのがMacでした。
Macがグラフィックに有利だとよく言われるのはもちろんGUIパソコンの先駆者であることも事実としてありますが、実は中身はその逆で、バロアルト出身のソフトエンジニアが立ち上げた会社が、Mac向けにグラフィックソフトを開発したことがそのきっかけとなって、カラーマッチなどの高度な印刷技術が発達したのです。今当たり前のように存在しているプリンタはその主産物の一つです。
その会社の名前はアドビ社、そしてソフトは勿論、フォトショップでした。

バロアルトとアップルはネタの宝庫です。

もひとつ余談ですが、Mac Lifeというのは廃刊になったMac情報月刊誌です。昔はMacPower(現存)と勢力を二分していました。
堅実なMacPowerにたいして、遊び心満載のMacLife、という位置づけ。が、後にMacPeopleやMacFunなどが創刊され、これらは隔週発刊と低価格であった為MacLifeは敗北し、結局廃刊になってしまいました。

毎号買ってたのになー。付録のCDがカラフルで良かったです。

良い旅を

2007年3月28日 趣味
ISBN:4093871493 単行本 南日本新聞= 小学館 1995/03 ¥1,533
アダンの画帖田中一村伝

気が付いたときに、レビューを利用して自分自身を振り返ろうというmy企画を実行します。





田中一村。野鳥や自然の絵を得意とした日本画家。晩年は奄美に移住し、その多彩で独特な風景を描く。静かに波寄せる砂浜とアダンの絵が有名。。。なのに僕が好きなのは緑1色で描いた葉っぱの絵(ホントは鳥が主役の絵だけど)。
出会いは恐らく9歳、大丸ミュージアムにて。展覧会は滅多に開かれないので、奄美にある田中一村記念館に行きたいが時間が取れない。

一村が僕にとっての「扉」でした。
脱西武線
2年ぶり?

とある理由から、いきなりですが久しぶりに日記を書きます。ミクシーは何だか文字通り疑似社会を構成しつつあって、社会からワザとはみ出して失敗して行き場を失ったような人種の自分としてはポジションが上手く掴めないので、こちらに帰ってきました。

詰まるところ。

現実の世界ではですね。自分が属している全く異なる複数のコミュニティに文字通りリアルタイムに絡み合うことはまず滅多にないことで。
10年以上会って居ない小学校の時の同級生とか、高校の同級生とか、大学の同輩後輩先輩、サークル、エトセトラ。自分というものを形作るあらゆるコミュニティが同時多発的に絡み合うことで現実世界以上にめんどくさい問題が沢山あることに気付いたのです。たまたまマイミクには居ないけど、万が一ここに弟やら兄貴やら、家族が入って来てしまった日には、何一つ満足に書くことが出来ない。そもそも誰かに強制されたわけでは無いハズなのに、言いたいことも言えないフラストレーションが溜まるというのは一体なんなんだろう。

バーチャルならではの自由な情報の発信の場であるはずのブログが、現実以上に難解な社会性を帯びてしまったことで、結局のところ当たり障り無い情報しか発信することが出来ない。ということになるのでしょうか。いわゆる「ミクシー疲れ」もその辺に根っこがありそうです。

最初は建築学科の仲間達だけのコミュニティのつもりで入ったミクシーだったのに。。。

冒頭のとある理由、ですが、本当に西武線から脱出してしまいました。引っ越しをしたときに、ふと忘れかけていたこの日記のことを思い出しました。今は豊島区民です。あと15mで文京区民。あと50mで新宿区民だったけど。。。あはは

日記らしいことも書いておこう、せっかくなので。

先週、1ヶ月ぶりに奈良から帰ってきたのですが、帰省する時に既に払い込み期限を過ぎていたガスの払い込み用紙をうっかり家に忘れてしまい、東京に帰って来たら案の定ガスは止められてしまいました。おかげで1日風呂に入れなくなったので(がーん)せっかくの機会だと思って(というか仕方なく)、新居から徒歩1分のところにある銭湯に行ったのです。
なんとここ、「神田川」で歌われたあの風呂屋だったという事実を知りました。驚愕。。。いいわ、銭湯。久しぶりでした。なんか演歌流れてたし。渋い入浴シーン。

もうこうなったら彼女を待たせてガタガタ石けん鳴らすしかない、という野望が芽生えました。もう暖かくなってきたので、まぁ来年の冬にでも。

そんなこんなで、今週大学卒業しちゃいました。

ひさしぶりに

2005年12月3日
パソコンを新しく買った関係でしばらく更新していませんでした。IDとパスワードを確認してひさしぶりにログイン。

ひさしぶりの日記

2005年8月5日
ミクシーの方でしょっちゅう更新していますが、こっちの日記はあんまり書いていませんでした。二つの日記を掛け持ちするのは、どうにも性に合わないみたいで。

今日からようやく夏休みです。数日後にはもう奈良に帰ってしまいます。また日記更新出来なくなるかもしれません。

小学校の課題は、取りかかるのが遅かったけど、いざ始めるとやりたいことが色々あって、書きたい図面も色々あって、でも時間が無くて半分くらい諦めた。ようやく火がついたと思ったら、手遅れだった。後期、どのコースを希望しようかまだ決まってないけど、なんか後期は今までよりは頑張れる気がする。少なくともこの一週間は、今までよりは相当密度の高い一週間だったと思う。腱鞘炎も非道くなったので、また、治るまで暫く療養してます。何故か腰痛はマシになってます。

アップルのミュージックストアがオープンしましたね。登録して早速なんか買ってみようと思います。

サボり気味

2005年7月19日
最近色々ヤバイ。廃人っぷりが炸裂している。
とてもじゃないけど、こっちの日記には書けない。
(かと言ってあっちの日記にも書いてない)

テクニカのイヤフォンが修理から帰って来てから、ご機嫌です。

小学校がなんとなくまとまってきた。図面は一向に進んでいないけれど。

ヒヨコさん

2005年7月7日 趣味
行ってらっしゃい!頑張って下さい、応援してます!

ノースカロライナ日記楽しみにしてます(^^

GYU-TAN

2005年6月22日


塩に

限りますね♪

仙台から東京に帰ってきて、その日その朝、いとこが大阪からやって来ました。仙台に行くことを決める前からこれは決まっていたので、かなり強行なスケジュール。きついぞ。徹夜のドライブ、そのまま観光ツアー突入です。

お昼、渋谷原宿青山辺りをうろつく。ジローさんには大変お世話になりました。

夜、あまりの眠さに、二人とも死亡。
翌日寝坊したことは言うまでも無い。

次の日、とりあえず都庁に登る。これは僕も初めて。タダです。
ヒルズは1500円も取られるからね。
都庁の下のレストラン、超安い。真面目に美味い。
絶対これは公費で運営されてる。学食みたいなもんかな。

その後六本木を散策したり、買い物したり。

あーっというまに時間が過ぎた。

ご飯はヒルズの2階?の中華料理屋さん。点心コースを食べた。エビシュウマイ二つで1000円くらいするお店なので、ご飯が精一杯。お酒は大して飲めなかった。でもコースにシャンパンが付いていたので、それで十分楽しめた。

デザートも注文して、創作料理の奥ゆかしさを知る。

急いで東京駅へ。時間が無い。

……………

彼は大阪に戻って行きました。今年の9月か10月に、また来てくれるそうです。今度は就職活動。
今働いているお店を離れて、青山のお店に就職したいそうです。(彼は美容師見習いです)

彼は、将来のビジョンがほんとにしっかりしてる。自らの身の振りについてほんとよく考えている。そしてその夢は大きい。
とても年下とは思えない。見習わなくちゃいけない。

ところで、知らない間に、画像がアップ出来るようになったんですね。ミクシーいらなくなっちゃうぞ(笑)

暴挙

2005年6月16日
今から

仙台へ

行って来ます
こんな話を聞きました。

昨年夏、アメリカで発生したハリケーンが、9ヶ月経った今、ベビーブームを巻き起こしているというのです。

ハリケーンが一杯やって来る

大停電が起こる

復旧まで数日

暗くなると何もすることが無い。

でもキャンドルライトがロマンチック。



新しい命を授かる

という流れだそうな(笑)
凄くわかりやすくて、いい話だな、と思いました。

レポート終わった〜。良かった良かった。

H2O

2005年6月12日
標準的には人体の60%以上は水分で構成されていると言われている。

5時頃、とつぜん断水しました。

管理室を覗いてみるとあたふたしている管理人さんの姿が。

水が止まったんですけど〜と言うと申し訳なさそうにスイマセンスイマセンと謝っていた。
一体どうしたんですか?と聞くと、どうやらマンションの屋上にある貯水タンクに水を上げる為のポンプが壊れてしまったらしい。

説明によると

どの部屋の住人が水を使わない状態が続くと、貯水タンクが一杯になります。貯水タンクの中が一杯の状態でポンプを回すと、水が停滞しているので、当然ポンプに掛かる負担も大きくなります。(水を送り出すだけでは無く、返ってくる水に抵抗しなければならないから)
水圧を感知してこれを制御するシステムがあるらしいのですが、どうやらこれが上手く働かず、ポンプのオーバーワーク状態が続いて、ついにはモーターが焼き付いて壊れてしまったらしい。

現在0時ちょうど。未だに復旧しません。
もうすぐ直るとのことですが…

朝帰り

2005年6月10日
家具デザイン・製作の修行の為スウェーデンへ2年間留学する、アサコさんを送る会が開かれた。

お店は渋谷だったけど、夕方暇だったので原宿をうろうろしていた。とりあえず餞別の品を買う。

相変わらず、ゆーじさんの集めてくる人は綺麗な人が多かった。
言わずもがな、自分が一番年下なので、なんとなくチヤホヤされてるのがわかる。恥ずかしいったらありゃしない。でも合コンみたいで面白かった(笑)

食事と飲み代合わせて6000円くらいだったけど、おごってもらいました。ホント嬉しい(笑)

エプソンの販売やってる女の人が来てて、僕がいかにエプソンを愛しているかを語ったら、ほんとに喜んでくれて、次会うときはエプソンのPM写真用紙を一杯持ってくるから!という約束をしてくれた。事実、自分はPM3700ユーザーなんですよ。

ってか、凄いよね、これって(笑)一枚100円くらいする紙、タダで…?しかも一杯…?笑

しかもこの人家が吉祥寺だって。ご近所さんだ。

終電も無くなったので、しょうがないからタクシーでゆーじさん家に行った(二度目)。朝までわいわい騒いでた。

夏か来年の春にでも、みんなでスウェーデン行きますって約束した。ヨーロッパ周遊したい。

アサコさん、頑張って下さい。

家族が増えた!

2005年6月9日
実家に子猫がやって来ました!
ノルウェイジャンフォレストキャットというフサフサ猫。
名前は"マリン"になったそーです。

早く会いたい。早く奈良に帰りたい…嗚呼、猫よ。

ドジな私

2005年6月9日
朝、床の上にカッターマットを敷いてカッターを使用していた。
刃が出しっぱなしだった。

帰宅して間もなく、足を切ってしまった。
何かが弾けた様に、鮮やかな赤い血がドクドクと滴り落ちる。苦手だった血も、なんだか見慣れてしまった。最近ホント怪我が多い。

ゆーじさんから電話があって、スウェーデンに旅立つアサコさんの送別会があるから明日来てよと誘われた。行きますとも。

ゆーじさんの彼女さんはイトートヨオ事務所に務めてるらしい。大変だろうなぁ。

血が止まらない。


30分くらいで止まりました。良かった良かった。

モノポリー

2005年6月7日
英語の教材の文章で、マイクロソフトの独占禁止法抵触について書かれたものがありました。

それで、昔、一つの革命的なOSが発売された時のことを思い出しました。

マックでも無く、ウィンドウズでも無い。

でも、アップル機でも、ウィンドウズ機でも、どちらでも動作する、夢の様なOS。
実はそんなのがありました。「BeOS」(ビーオーエスと発音します)というの。今でもちゃんとバージョンアップ重ねてます。

機種に依存しないというあたりでお気付きの方もいると思いますが、詰まるところUNIXの一種です。
実際、MacOS XもUNIXベースになったことだし、まぁ統一規格的な感じはしますね。
ちゃんとBeOS版のフォトショップとかもあったし、ストラタ3D何かも出てた気がする。

実は、BeOSが革命的だったという本質は、UNIXベースだったことではありません。世界で初めて「マルチタスク」に対応したことです。(世界初というのは商品化という観点からですが)
最近になってコンピュータを使い始めた人は当たり前の様に感じているかもしれませんが、十年くらい前のOSは「シングルタスク」が基本で、例えばファイルのコピー作業をしているとき、他のことが出来ませんでした。今はコピーしながら印刷しながらレンダリングしながらインターネット見ることだって出来ます。これは「疑似マルチタスク」と呼ばれる機能で、本来は複数のCPUが無いと出来ない作業を、単位時間毎に区切って分担させることで可能になった機能です。
これの非常に質の高いのを最初に作ったのが、BeOSだったわけです。

ゲームでもパソコンでも、デモ画面というのは常に注目を浴びるもので、BeOSもその辺はキッチリしてました。その中で一番見物だったのは、画面上で、3D空間の中に浮かんだ本があってユーザーはマウスを使ってその本のページをぺらりとめくることが出来る、といったものでした。(しかもページの上に写真を貼ることも出来ました)
シングルタスクOSでは絶対不可能な作業を、超高速に処理出来るOSとして、当時脚光を浴びたのでした。

何故こんな細かいことを知ってるかというと、今は無き"MACLIFE"に、BeOSのベータ版が付録についていて、それを実際にインストールしたことがあったからです。当時のOSは数十メガとか、まぁそれくらいの単位だったので、100MBのZIPドライブにBeをインストールして、マックで起動して遊んでいました。

このBeOSに関連して、昔、マックが開発を進めていたオソロシイOSがあります。そのOSのコードネームは"Rhapsody"。(今もマックOSには、TigerとかPantherとか、色々コードネームがついてますが)最終的には日の目を見ることなく潰れた計画です。

一言で言うならば

「ウィンドウズで起動するマック」

です。

実現して居れば、今のコンピュータ業界の世界市場の様子が変わっていたかもしれません。
当時のウィンドウズ市場ではバイオが大人気で、特に超薄型のノートパソコンはほぼ独壇場。対してマックのノートはとにかく重い。もはやラップトップというよりは「持ち運び可能なデスクトップ」くらいの位置づけでした。これがマックにとってシェアの低迷にかなり影響していたそうです。絶対的な力量は今も昔も、アップルコンピュータの方が遙かに高いにも関わらず、デザインと教育の現場でしかシェアを伸ばせなかったのは、中間機としてビジネスツールとしてのパソコンの位置を掴めなかったからです。文字さえ打てればいい、軽いに越したことはない、そんなパソコンのニーズというのは、アップルが想像していた以上に大きかったようです。

これがラプソディとどう繋がるかというと。つまり、ラプソディを発売してしまうと、アップルのノートパソコンを買う必要が無くなってしまう、ということです。

ラプソディの意図は、まずウィンドウズ機を乗っ取ることでマックOSのシェアを増やし、その波状効果でマック本体を買ってもらおうというものです。
ところが、マックは高い。ノートは重い。という定説の為に、マックOSが広がってその後、本当にアップル機にユーザーが帰ってくるのか、という確信が持てなかったのです。むしろどんどんアップル離れが進んでしまうのでは無いか。
それに拍車を掛ける恐れが強かったのがノートパソコン分野だったわけです。

そんなわけで、アップル社内の反対もあったらしく、ラプソディ計画は中止になりました。

んで、現在。その時の名残が、UNIXベースに生まれ変わったMacOS Xというわけです。何故かというと、BeOSのところでも書いたように、UNIXベースというのは機種依存性が無く、その気になればウィンドウズでMacOS Xを動作させることだって不可能では無いからです。もちろんアップルがUNIXベースを採用したのは他にも数えたらキリが無いアドバンテージがあるためで、直接は何の関係も無いと言えます。でもなんかやっぱり気になる…笑

もう一つ。先日アップルが発表した、CPU開発の転換。IBMチップを止め、インテルのチップを採用するとのこと。

ウィンドウズのペンティアムは周知の通りインテル製。

もしかして、ラプソディ計画、生きてるんじゃないか、と思わせる、ドキッとするニュースでした(笑)

英語の予習をしながら、こんなこと思い出してました。あぁ懐かしい。

究極のコンボ

2005年6月6日
1  ゆで卵を落とす

2  何故か踏む

3  焦って滑ってコケる

自分で言うのもなんだけど、ドリフ顔負け。

しばらくショックで立ち直れませんでした。。。
俺のゆで卵。。。(:_;)

諦めた

2005年6月6日
本が見つかりませんでした。

レポートは諦めました。お金も無いし。

なんか無性に青山ブックセンターに行きたい。

不快なニュース

2005年6月2日
韓国漁船の話。

違法操業自体はどこの国でもあることだし、珍しい話でも無いので、それはどうでもいい。

韓国側の態度。どうなってんだホント。あり得ない。

漁船の乗組員の話。(病室のベッドにて。)
「日本の保安官がいきなり襲いかかって来て、何度も何度も警棒や素手で殴られた。どれくらい殴られたか、覚えていないくらいだ」

いや、あんたの顔に全くその痕が無いんですが。。。

韓国の新聞の話。
「違法操業の事実は無い。」

発言には責任を持ってもらいたい。先刻、この事実は証言として確認されたそうです。

韓国政府の対応。
「韓国の司法によって裁きたいので、彼らの身柄を引き渡して欲しい。」

あなたたち、自分が何を言ってるのかわかってるんですか?

今回の一連の韓国政府の対応はハッキリ言って国際法侵犯以外の何物でもない。(もちろん違法操業者自身にも言えることだけど、問題はそんなことじゃないですよね)
国家領域を侵した場合、国際法に乗っ取って相手国に優先的に判断を任せる。これ当たり前じゃないですか。ていうか常識的に考えて。

国が"親"で、漁船が"子"とします。

子が誰かの家に勝手に入って、玄関の花瓶を割ったとします。
その現場を、そのウチの人は見ていました。もちろんその子を咎めました。

そして連絡を受け"親"がやってきます。自分の子供が他人に叱られてるのを見て、思わず親はこう言います。

「ウチの子の教育は、ウチでやりますから」と。

韓国がやってるのはまさにこういうことですよね。

ホントは花瓶を割られた家の人に、その子供を叱る権利(というか義務?)があるでしょうに。

他人の家に勝手に入ってはいけないというのは一般的な良識であり、また法律によって保護された常識でもあります。
領海侵犯の場合も、国際海洋法によって定められたルールによる常識です。いざ事件が起こってしまうと国家威信とかそういうのは諦めざるを得ません。それはもう教育の問題です。
"親の顔に泥を塗る子"という構図が成立してエンドです。

理由は良くわかりませんが、韓国は何故かこんな簡単な事実を受け入れることが出来ないみたいです。

なに揃いも揃って被害者面してんだよ、と思う。何よりもまず彼らは加害者サイドだと言うことを忘れないで欲しい、ホント思う。

余談ですが、もし海上保安官の対応に多少の行き過ぎがあったとしても、それは当然ですが彼ら(漁船では無く、韓国という国家)に文句を言う権利なんて無いハズ。

あぁもう、幼稚だ。。。腹ただしい。

まぁきっとホントの確執はもっと深いもんなんだろうけど。

アジアネタでもう一つ。そういえば小泉さんの靖国参拝も大概にして欲しいな(笑)参拝すること自体は内容如何にしても個人の自由だと思う。けど、大勢のカメラを引き連れて廻るうちは、彼は個人では無く、日本の代表の一人としての公人なんだから、その辺、国益(十中八九明らかに国益は損なわれる)を考えてとりあえず今は控えて欲しい。公人としての参拝を止めて、それから議論してもおかしくは無いと思うんだけど…
中国は中国でドタキャンだの何だの、これまたどうしようもない対応をしてくるし、今のままじゃまともに話合い自体が出来ないんじゃないかい、と思うのです。

どーにかならないもんかなー。
 【北京=東一真】中国の大手自動車メーカー、上海汽車集団が、破たんした英自動車大手のMGローバーから、2車種の車体やエンジンの知的財産権を6700万ポンド(約132億円)で買い取っていたことが明らかになった。

 中国各紙が報じたもので、上海汽車は、早ければ来年末にもローバー車の生産・販売を始めるという。経営危機に陥ったMGローバーは昨年から、上海汽車の傘下に入る方向で提携交渉を続けてきたが、上海汽車が交渉を打ち切って、今年4月に破産した。
(読売新聞)

はぁ…ついにローバー終わったな…
中国産のローバー…ハッキリ言って、そんなのいらない(笑)

まぁそりゃ前から知ってたけどさ。やっぱこう現実になるとやっぱり気分は良くない。

こんなこと書くと偏見と言われるかもしれませんが、、、僕は常々感じているのですが、中国人のプロダクトに対する意識の低さみたいなのにはどうも感心しません。実際、ノート一つとっても相当品質は悪いし、例えば建築も、中国の超高層ビルのほとんどが海外の(特に日本の)大手ゼネコンの監理によるもの。彼らの技術では1階と最上階の誤差1センチと言われる精度を保てないからだそうです。
中国産の車がどれくらいのものかはもちろん知りませんが、やはり今のところ、彼らの製品には到底命を預けることなど出来ないのです。

ましてや、今回出てきたのはローバーという名門の車メーカー。
なんとも言えないですが、もやもやとした嫌悪感を感じずにはいられません。

って言っても、日本車のほとんどが組み立ては中国とかなんだけど。でも重要な部品とか、精度の必要なパーツは日本で作ってるみたいですね。部品を輸出して海外で組み立てて、また日本に向けて輸入するらしい。安さと品質の両方を保つ仕組みというわけですね。

ローバーは既に、ポピュラリティの高い製品の多くをBMW始めとした他社に売却してしまっているので、上海汽車はほぼオリジナルのローバーを開発することになると思われます。これは果たしてローバーか??

結果的に、色んなところにその遺伝子を残して、ローバーは空中分解したわけですね。ふわっと消えてしまった。

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